2015年9月5日土曜日

【あおなごコラム112%】演出離れ

こんにちは、劇団うさぎ112kg、あおなご演出の工藤です。
昨日、9/4(金)が、小屋入り前の最後の稽古でした。
前回から間髪入れず、今回は演出面のことを記録します。
本番直前の【演出離れ】について。


昨日の稽古は、あいにく私がすこぶる体調がすぐれなくて
ほとんど稽古を見れる状態ではなかったので、
役者の自主稽古、通しが行われたようです。

稽古後に、メンバーがビデオを持ってきてくれたので、
録画した通しの映像を観ました。

演出不在の通し。
座組みが少数なこともあって、観る専門の人がいない通し。
ビデオカメラだけが淡々と映像を記録している。

これがどんな意味を持つか……。

小屋入り直前ということで、稽古時間ももうほぼ残されていないのですが、
ここまでくると、演出の手から役者が離れることがあるのです。
今回のあおなごも、その時を迎えたな、と思いました。

うちの座組みに座長はいませんが、
座付きの役者が通しや稽古のフィードバックをリードしつつ、
客演の役者たちも遠慮することなく積極的に意見を交わす。
再度稽古をして自分たちで改善することができる。
演出がいないとき、役者が何をするのか、役者自身で何ができるか、というのは、演出にとっても役者にとっても肝要なことだと思います。

役者間の信頼関係が築けている証拠だと思いました。
全員が、芝居を良くしたいと思って臨んでいる。

演出の手から逃げて暴走するのではなく、
脚本や演出の意図を読み取りつつ、自分たちがどうするべきなのかが考えられる、
というのはなかなか難しいことだと思います。


役者やスタッフが自分なりに解釈して表現する余地があったほうが、
演出の想像のナナメ上を飛び越えてくれるような気がして、
そういう期待のもと、脚本の内容上、
役者・スタッフにもすべてを解説したり説明したりはしていません。
部分的には解説はしたりするんですが、
そういう"遊び"の部分があったほうが、表現の幅は広がる気がするんです。

だから、私は演出の頭の中で完結しない芝居作りを心がけています。

その芝居作りの最終過程が、
「演出の手から離れる」ことだと思います。
本番は演出が止めたりできないので、完全に役者やスタッフのフィールドです。
作品をみせるのは役者やスタッフ。
演出は口も手も出せない。
いままでの経験上、本番でようやく演出の手から離れたとき、
本番を観ていて歯がゆく思ったりしたこともありました。

私が演出の場合は、本番ではじめて演出の手から離れるのでは、遅いみたいです。

でも、本番直前、役者が演出離れをするのは、
実はちょっとさみしいんですよ。
親離れする子どもみたい。親の気持ちってこうなんでしょうか。

前作でも、これを経験しました。
いままで持ってた手綱をうっかり放しちゃって、急に手持ちぶさたになっちゃったような喪失感、寂しさ。
この感覚に陥るたびに、もう芝居なんかやんねー、って思うんだけどね。

でも、本番直前の演出離れを経て、再度全体を整えると、
不思議と、芝居のクオリティがぐんと上がることがあるんです。

だから、今回のあおなごも、
役者の巣立ちのときを固唾を呑んで耐えています。
一皮むけた「あおなご解放論」をお客様に観ていただけるように、
メンバー全員で舞台をつくっています。

へばまた。

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